17世紀にオランダで起きたチューリップバブルとは

オランダ・チューリップバブル


オランダ元祖バブルと言えば、17世紀にオランダで起きたチューリップバブルではないだろうか。今回はそのチューリップバブルを検証してみたい。

そもそもチューリップは最初から投機の対象であった訳ではない。オランダの気候はチューリップ栽培に適しており、その美しい花はヨーロッパの王族や貴族に愛されていた。そしてそれらに高い金を払っていたので、オランダの園芸家は徐々にその栽培に力を入れ始めました。価格は徐々に騰がっていったものの、1633年までの取引は園芸家と収集家の間だけで行われていたので、これを持ってバブルと言うことはできず、寧ろ通常の経済活動の範囲と言えるでしょう。

おかしくなり始めたのは、これに目をつけた一般大衆が取引に参加してきてからで、価格は急上昇を始めることになる。珍しいチューリップは6000ドル、8000ドルとなり、金よりも価値があった。自分の庭の花を売っただけで4万ドルになり、人々は徹夜で庭を監視するありさまで、正に病気である。しかし、年が経つにつれ、バブルは一層加速して行くことになる。こうなってくると、もう珍しいチューリップだけではなく、株で言えばボロ株に値する、本来価値の無いものまで、急上昇し始めた。65ドルで買った球根が直ぐに800ドルになり、1日に数十回も転売されるほどである。珍しい球根は家一軒と交換された。その後、海外からも球根投資が始まり、バブルは絶頂を迎えることになる。



国中が踊ったバブルもついに終わる日がやってくる。1637年2月の初め、ある男が球根を買い、いつものように転売しようとしたところ、どういう訳か出来なかった。これがパニックの始まりである。球根の売買には多額な信用売買が行われていたため、他の業者に恐怖心を起こさせるには充分だった。誰もが直ぐに売ろうとしたが、もはや買い手はなく、どうすることもできない。暴落の波が社会全体に広がり、人々はパニック状態となり売りが売りを呼ぶことになる。国や裁判所が救済に乗り出すが、とき既に遅く、暴落は誰にも止めることは出来なかった。球根の価格は最終的に100分の1になったものもあり、国中に破産者が続出した。
チューリップ
ここで私たちが参考にしなければいけないことは、株も含め物には絶対的な価値基準が存在しないという事だ。例えば原価が3千万円のマンションが5千万円で売れるのは、我々が相対的な基準で価格を決めているに過ぎません。現在、あなたに誰かがチューリップの球根を50万円で売ろうとしたら、ふざけるなと相手にしないであろう。しかし、その球根が他の場所で55万で取引されているのを見たら、右から左に物を流すだけで5万円の利ざやが取れるので、きっとあなたも買ってしまうでしょう。株のバブルも同じ理屈であり、自分が買った値段より高い値段で買い取ってくれる人がいるうちはいいが、それが見つからなくなった時が崩壊である。しかし、自分が最後にババを引くとは誰も考えていないから、バブルは発生し進行するのである。結局、何百年たっても人間の心理は少しも変わってはいないのです。




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